『クレイジージャーニー』に出演した登山家に、平出和也(ひらいで かずや)さんがいます。彼は残念ながら登山中に亡くなりました。
平出和也さんは2024年7月にパキスタンのK2で滑落し、行方不明となりました。捜索活動が打ち切られたことを受けて亡くなったとされています。
この記事では事故の背景について詳しく解説していきます。
クレイジージャーニー登山家の死亡事故を振り返る
登山家の平出和也さんは、2024年7月27日にパキスタンのK2で滑落し、命を落としました。
彼は中島健郎さんと共に未踏ルートからの登頂を目指していましたが、標高約7550メートルの地点で氷とともに滑落。約1000メートル以上落下しました。
救助活動は行われましたが、現場の状況が非常に厳しく、ヘリコプターの着陸も不可能であったため、7月30日に救助を断念しました。
登山家 | クレイジージャーニー出演 | 事故の場所 | 事故の時期 |
---|---|---|---|
平出和也 | 2017年 2月24日 3月2日 9月21日 | K2(パキスタン) | 2024年 7月27 7月30日(救助断念) |
この事故は、K2という非常に危険な山で起こったものであり、その特性からも多くの登山者が命を落としていることが知られています。
K2は「非情の頂」と呼ばれ、その登頂率や死亡率が高いことで有名です。
所属先である石井スポーツは、「二人が遺した功績はこれからも指針となり続けます」とコメントし、追悼の意を表しました。
同行した中島健郎さんについて
中島健郎(なかじま けんろう)は、1984年10月19日に奈良県高取町で生まれた日本の登山家、山岳ガイド、山岳カメラマンです。彼は関西学院大学理工学部に入学し、山岳部に所属して登山の基礎を学びました。大学在学中には、ネパールの未踏峰であるパンバリヒマール(6887m)とディンジュンリ(6196m)に登頂しています。
彼はプロ登山家の竹内洋岳やイモトアヤコと共に多くの登山プロジェクトに参加し、特に「世界の果てまでイッテQ!」の登山部シリーズでカメラマンとして知られています。
遭難事故の経緯
- 2024年6月11日
平出和也さんと中島健郎さんはパキスタンのイスラマバードで合流し、K2登山の準備を開始。
- 6月23日
K2の西壁に位置するベースキャンプ(BC)を設営。彼らの計画は、未踏の西壁を登攀することでした。
- 2024年7月上旬
天候が不安定で、登山活動は停滞。彼らは5700m地点にアドバンスドベースキャンプ(ABC)を設営し、偵察を行う。
- 7月24日
BCを出発し、ABCに到達。翌日からのサミットプッシュに向けて準備を整える。
- 7月25日
6500m地点にC1を設営。
- 7月26日
C2を設営。
- 7月27日5時33分
平出さんがC2上部への偵察を行う旨を所属先に連絡。
- 7月27日7時30分
ABCで待機していた撮影隊から、平出さんと中島さんが約7550m地点で滑落したとの報告が入る。
- 2024年7月30日
救助活動が行われるも、現場の厳しい条件により、ヘリコプターが着陸できず、救助が困難な状況に。家族の同意のもと、救助活動は打ち切られる。
- 2024年8月1日
救助活動の打ち切りが正式に発表され、平出さんと中島さんの安否が不明のままとなる。
- 8月2日
メディアでの報道が続き、二人の遭難が広く知られるようになる。
- 8月27日
日本山岳会が二人の偉大な功績を追悼し、彼らの登山に対する敬意を表明。
登攀(とうはん)とは
特に険しい岩壁や氷雪壁を両手足や用具を使って登ることを指します。一般的な登山よりも技術的な難易度が高いことが多いです。
BCとABCって何?
ベースキャンプ(Base Camp, BC)は、登山や探検の際に、前進するための食料や資材を集めておく基地のことです。通常、登山の拠点として機能し、登山者が休息や準備を行う場所です。アドバンスドベースキャンプ(Advanced Base Camp, ABC)は、ベースキャンプよりもさらに高所に設置されるキャンプで、登頂を目指すための中間地点として機能します。
滑落開始地点から停止地点まで、1000mはあると考えられます。K2が「非情の頂」と呼ばれる意味が伝わってきます。
K2の登頂成功率は?
ところで登頂成功の確率はどのようになっているのでしょうか。調べてみると、かなり難しいとされています。4回挑戦して、1回成功するか程度です。
山の名前 | 登頂成功率 | 成功した日本人登山家 |
---|---|---|
K2 (8611m, パキスタン) | 約25% | 小松由佳(女性初登頂) |
アコンカグア (6961m, 南米最高峰) | 約30% | 植村直己 |
デナリ/マッキンリー山 (6190m, 北米最高峰) | 約30-35% | 植村直己、野口健、竹内洋岳など |
エベレスト (8841m) | 約61% (2017年) | 三浦雄一郎(80歳で登頂) |
女性登山家の死亡事故と背景
日本の女性有名登山家による死亡事故は、最近ですと「谷口けい」さんが記憶に新しいです。
登頂後、トイレをしようと用を足すためパーティーから離れた際に滑落し、心肺停止状態で発見されたのです。その翌日発見され、死因は脳挫傷だった。彼女はエベレストに登頂の経験があり、優秀な登山家に贈られる国際的な「ピオレドール賞」を2009年に受賞している。
谷口さんに関する情報をまとめます。
1972年
谷口けいさん生まれる。
2007年
谷口さんはエベレストに登頂し、国際的な注目を集めます。
2009年
彼女は「ピオレ・ドール(黄金のピッケル)」賞を女性として初めて受賞します。この賞は、登山界における非常に名誉あるもの。
2015年12月20日
谷口さんは仲間と共に大雪山系黒岳に入山します。この時、冬山装備には問題がなく、翌日には登頂を果たします。
2015年12月21日
登頂後、谷口さんは用を足すためにパーティーから離れ、その後連絡が取れなくなります。捜索が行われ、彼女が滑落した跡が発見される。谷口さんの手袋も近くで見つかり、彼女の滑落死が確認されました。
事故がおきた大雪山系・黒岳は標高1984メートルの山であり、登山者にとって非常に魅力的でありながらも危険な場所です。
特に冬季の登山においては、気象条件が急変しやすく、低体温症や視界不良、雪崩などのリスクが高まります。2023年には、大雪山系で30人が遭難しています。また、ヒグマの出没も報告されています。
過去にあった女性有名登山家による事故
登山家名 | 事故発生山 | 発生時期 | 事故の概要 |
---|---|---|---|
谷口けい | 大雪山系・黒岳 | 2015年12月21日 | 登頂後、用を足すためにパーティーから離れた際に滑落し、心肺停止状態で発見された。 |
河野千鶴子 | ヒマラヤ | 2013年5月28日 | 天候不良のため下山中に体調不良となり、死亡したとされる。 |
難波康子 | エベレスト | 1996年5月11日 | エベレストでの大量遭難事故に巻き込まれ、死亡した。 |
登山家死亡事故ランキング
エベレストが最も登山家の死亡率がもっとも高いのかと思ったのですが、違うようです。
山名 | 標高 (メートル) | 死亡率 | 主な危険要因 |
---|---|---|---|
アンナプルナ (ネパール) | 8,091 | 約31.9% | 雪崩、急激な天候変化、高山病 |
K2 (パキスタン/中国) | 8,611 | 約26.5% | 厳しい気象条件、技術的難易度 |
ナンガ・パルバット (パキスタン) | 8,126 | 約20.3% | 難易度の高いルート、雪崩 |
エベレスト(8848メートル)は、世界最高峰でありながら、その死亡率は約9.3%とされています。この数字は、登山者がエベレストに挑戦する際のリスクを示していますが、他の8000メートル峰と比較すると相対的に低い値です。
エベレストの死亡率が1位でない理由
エベレストが他の8000メートル峰と比較して相対的に低い理由はいくつかあります。
- 登山者数と経験: エベレストは非常に人気があり、多くの登山者が挑戦します。そのため、経験豊富なシェルパやガイドが多く存在し、彼らのサポートを受けることができるということです。これにより、安全性が向上し、死亡事故のリスクがもっとも高くない要因となっていると考えられます。
- 整備されたルート: エベレストには明確に整備された登山ルートがあります。特に南側からのアプローチでは、固定ロープや梯子などが設置されており、これによって技術的な難易度が下がります。これに対してK2やアンナプルナなどは、より技術的で危険なルートが多いため、死亡率が高くなる傾向があります。
- 混雑とその影響: エベレストでは登山シーズン中に多くの登山者が集中するため、大渋滞が発生することがあります。この混雑は体力を消耗させる要因となりますが、一方で多くの人々が同時に行動することで助け合う機会も増えます。混雑によるリスクはあるものの、それでも他の危険な山々と比較すると相対的には安全性が保たれています。
- 気象条件: エベレストは他の8000メートル峰と比べて比較的安定した気象条件があります。特に春季には好天候の日が続きやすく、多くの登山者がそのタイミングを狙って登頂します。これに対してK2などは予測不可能な悪天候に見舞われることが多く、その結果として遭難事故も増加します。
アンナプルナの死亡率が最も高い理由
アンナプルナが最も死亡率が高い理由は、以下のような複数の要因に起因しています。
- 技術的難易度: アンナプルナは、特に南側からの登頂が非常に困難であり、大岩壁が立ちはだかります。このため、高度な登山技術が要求されます。標高7500メートル地点では、7キロメートルにわたる尾根を横断しなければならず、これは世界で最も危険なルートとされています。
- 雪崩のリスク: 北側からの登頂では、雪崩が頻発します。2014年には吹雪による雪崩が発生し、トレッキング中の43人が死亡するという過去最悪の事故が起こりました。このような雪崩は、登山者やトレッカーにとって大きな脅威です。
- 急激な天候変化: アンナプルナ周辺では天候が非常に不安定であり、急激な気象変化が登山者にとって致命的な影響を及ぼすことがあります。これにより、計画通りに行動できず、遭難するリスクが高まります。
- 登山者数と経験不足: アンナプルナは他の8000メートル峰と比較して商業登山の対象になりにくく、そのため経験豊富なガイドやシェルパが少ないことも死亡率を高める要因となっています。多くの場合、登山者は単独または小規模なチームで挑戦するため、安全対策が不十分になることがあります。
アンナプルナは「キラーマウンテン」として知られるほど危険な山となっています。特にその死亡率は約31.9%とされており、この数字は他の8000メートル峰と比較しても非常に高いものです。
日本人登山家の死亡事故とその影響
過去にあった日本人登山家が行方不明により死亡とされる事故をまとめます。登山は危険と隣り合わせのスポーツだということが言えます。
登山家名 | 事故発生山 | 発生時期 | コメント |
---|---|---|---|
栗城史多 (35歳) | エベレスト | 2018年5月21日 | 8度目のエベレスト挑戦中に滑落。凍傷で手指を9本失う。 |
平出和也 (45歳) | K2 | 2024年7月27日 | 世界的な登山家で、未踏ルートに挑戦中に滑落。7000m地点からの墜落。 |
中島健郎 (39歳) | K2 | 2024年7月27日 | 平出和也と共に滑落。登山家としての実績があり、K2の難易度に挑戦していた。 |
田村真司 (56歳) | パキスタンの山 | 2023年8月11日 | 推定標高5800メートルの山を登山中に行方不明。同行していた仙波孝康が救助隊と戻ったらいなかったという。 |
植村直巳 (43歳) | デナリ (マッキンリー) | 1984年2月13日 とされる | 冬期のマッキンリー(現:デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明。 |
全員登山経験が豊富です。それでも登山を継続するということは、いつかは事故に遭うという現実を突き付けられることになります。
事故に遭うと誰も救助に向かえないほど、過酷な環境です。死への片道切符がきられ、さらに遺体が遺族へ届けられることもない。実績を積めば積むほど、私たちへの波紋が大きいと言えます。
海外有名登山家の死亡事故とその波紋
続いて海外の登山家で残念ながら亡くなる事故にあった海外登山家についてまとめます。
登山家名 | 出身国 | 特記事項 | 事故の概要 |
---|---|---|---|
ウーリー・ステック (40歳) | スイス | ピオレドール賞(2回) 2009年 2014年 | 2017年4月、ヌプツェ山の標高6600メートル付近でクレバスに転落したとされています。 |
マルク・アンドレ・ルクレール (25歳) | カナダ | ドキュメンタリー映画アルピニストの撮影中に亡くなる。 | 2018年3月、アラスカのメンデンホール氷河で雪崩に巻き込まれる。 |
ダーフィット・ラマ (28歳) | オーストリア | 映画『クライマー パタゴニアの彼方へ』で取り上げられる。 | 2019年4月16日にネパールのアンナプルナ山で死亡。 |
アルチル・バドリアシビリ (34歳) | ジョージア | 医師でありながらプロの登山ガイドでもあった。ピオレドール賞(2021年) | 2024年8月、シャケルダ山で雷に打たれ、滑落して死亡。 |
ヘイデン・ケネディ (27歳) | アメリカ | ピオレドール賞(2012年) | 2017年、パートナーの急死後に自殺。登山中の事故ではないが、登山界に影響を与えた。 |
ピオレ・ドール賞とは
ピオレ・ドール賞(Piolet d’Or)は、優れた登山家に贈られる国際的な賞で、1991年にフランスで創設されました。この賞は、特にアルパインスタイルでの登山を重視し、少人数での登頂や最低限の装備での挑戦が評価されます。登山界のアカデミー賞と称されます。
登山用語にアルパインスタイルという言葉がでてくるので、触れておきます。
- 自然環境での登攀: アルパインクライミングは、登山道が整備されていない自然の地形を進むことが求められます。
- 技術と体力の要求: 登山者は高度な技術と体力を必要とし、安全管理や支点構築などのスキルも求められます。
- 冒険的要素: アルパインスタイルでは、リード者が落ちないようにすることが暗黙のルールとなっており、非常に高い緊張感があります。
- 他のスタイル:フリークライミング、スポーツクライミング、アイスクライミングがある
特筆すべき点と言えば、滑落や雪崩以外に雷の脅威も挙げられます。山登りでは、金属製の道具は外せない装備です。装備した瞬間、雷による脅威が積み重なるということ。そして、ヘイデン・ケネディの場合はパートナーの喪失という悲しさから、自ら死を選んだとされるケースもあります。
ヘイデン・ケネディのパートナーとされる彼女は、インゲ・パーキンス。
どんなに経験を積んでいても、未踏の地は死と隣り合わせです。そんな彼らがいとも簡単に帰らぬ人となるニュースが飛び込んでくるたびに私たちへの波紋は大きくなります。
クレイジージャーニー登山家死亡まとめ
平出和也さんは1979年に長野県富士見町で生まれ、日本のアルパインクライマーとして数々の未踏峰に挑戦してきました。彼は登山界で最も名誉あるピオレドール賞を日本人最多の4度受賞しており、その業績は登山界に大きな影響を与えました。彼と中島健郎さんは「世界最強」とも称されるアルパインクライマーであり、少人数でスピーディーに行動するスタイルで知られていました。
平出和也は、TBSの人気番組「クレイジージャーニー」に頻繁に出演している著名なアルパインクライマーです。平出和也は2023年9月21日に放送された「クレイジージャーニー」に再び出演しました。この回では、彼の登山家としての経験や、数々の未踏の壁を乗り越える姿が描かれました。
平出和也の登山家としての足跡
彼の登山家としての足跡は、数々の重要な業績と経験に彩られています。平出は1979年に長野県で生まれ、大学2年生の時に登山を始めました。彼の登山スタイルは「アルパインスタイル」で、少人数で軽量化を図りながらスピーディに登ることを重視しています。2008年にはインドのカメット峰(7756m)に登頂し、日本人として初めてピオレドール賞を受賞しました。
- 2001年クーラカンリ東峰(7,381m)初登頂
平出はこの登頂により、登山界でのキャリアをスタートさせる。
- 2013年エベレスト登頂撮影
三浦雄一郎の80歳でのエベレスト登頂を撮影し、登山界での名声を高める。
- 2015年シスパーレ北東壁未踏ルート登攀
中島健郎と共にこのルートを登攀し、後にピオレドール賞を受賞する基盤を築く。
- 2017年第12回ピオレドールアジア賞受賞
シスパーレ北東壁の登攀により受賞。
- 2018年第26回ピオレドール賞受賞
中島健郎と共に、シスパーレ北東壁の登攀が評価され、受賞。
- 2021年サミサール(6,032m)初登頂
三戸呂拓也と共に初登頂を果たす。
- 2023年ティリチミール(7,708m)未踏北壁登頂
中島健郎と共に未踏北壁からの登頂に成功。この功績により、平出は日本人最多の4度目のピオレドール賞を受賞することが決定。
- 2024年7月K2未踏西壁挑戦
中島健郎と共にK2の未踏西壁に挑戦中、標高約7500メートル付近で滑落し、命を落とす。
その後も平出は数々の挑戦を続け、2017年にはパキスタンのシスパーレ(7611m)北東壁からの新ルート登頂に成功し、2度目のピオレドール賞を受賞しました。この登頂は彼にとって4度目の挑戦であり、非常に困難な条件下で達成されたものでした。さらに2019年にはラカポシ(7788m)の南壁から未踏ルートを登頂し、3度目のピオレドール賞を受賞しています。
エベレストの登山家死亡事故一覧と挑戦
世界最高峰のエベレスト、過去にどんな事故があって何名亡くなったのかまとめます。この一覧は死者数が多い順にランキングしています。
事故(死者数) | 発生時期 | 事故の要因 | 事故の概要 |
---|---|---|---|
2015年ネパール地震による雪崩 (18名) | 2015年4月25日 | 大地震による雪崩 | ネパールで発生した大地震によって引き起こされた雪崩がエベレスト・ベースキャンプを襲い、18名が死亡。 |
2014年クーンブ氷河雪崩 (16名) | 2014年4月18日 | 雪崩 | クーンブ・アイスフォールで雪崩が発生し、16名のシェルパが死亡。 |
1996年エベレスト大量遭難 (8名) | 1996年5月10日 | 悪天候と登山者の混雑 | 悪天候と登山者の混雑が原因で8名が死亡。特に、登頂後の下山時に時間を超過したことが致命的でした。 |
エベレストは人気のある場所であるため、混雑が命に関わる状況ということも伺えます。
そして2018年には栗城史多さんのエベレスト挑戦で、残念な事故が発生しました。
栗城史多のエベレスト8回挑戦するも達成ならず
栗城史多(くりき のぶかず)は、日本の登山家であり、特にエベレストへの挑戦で知られています。
彼は2009年から2018年までの間に8回にわたりエベレスト登頂を試みましたが、成功には至りませんでした。
彼の挑戦は、単独無酸素登頂という非常に過酷な条件下で行われ、これが彼の登山スタイルの特徴となっています。
2018年5月21日、栗城さんは8度目のエベレスト挑戦中に亡くなりました。彼は体調不良を訴えながらも登山を続けており、下山途中で低体温症に陥り、そのまま命を落としました。
- 2009年
初めてエベレストに挑戦。登頂には至らず。
- 2010年
2度目の挑戦も失敗。
- 2011年
3度目の挑戦も失敗。
- 2012年
4度目の挑戦で西稜ルートからアタック。強風により7700m地点で撤退。この際、両手両足の指と鼻が凍傷になり、最終的に右手親指以外の指9本を切断。
- 2015年
5度目の挑戦も失敗。
- 2016年
6度目の挑戦も失敗。
- 2017年
7度目の挑戦も失敗。登山中に体調不良を訴えながらも登山を続けました。
- 2018年5月21日
8度目のエベレスト挑戦中に体調を崩し、7400m付近で滑落し死亡。彼はこの時点で35歳でした。
単独無酸素登頂がどれだけ難しいのか
過去にこの条件で成功させた人を調べてみました。結論からいうとほんと数人しかいないと思われます。
単独無酸素登頂成功者 | 国籍(登頂年) | コメント |
---|---|---|
ラインホルト・メスナー (Reinhold Messner) | イタリア(1980年) | メスナーは、エベレストを無酸素で単独登頂した最初の人物であり、この偉業は当時としては非常に画期的でした。 |
アパ・シェルパ (Apa Sherpa) | ネパール(2001年) | アパは、エベレストを単独無酸素で登頂したことがあり、彼はエベレストの登頂回数でもギネス記録を持っています。 |
デニス・ウルブコ (Denis Urubko) | ロシア(2009年) | ウルブコは、エベレストを単独無酸素で登頂した登山家の一人であり、彼の登頂は高難度のルートを選んでのものでした。 |
単独無酸素登頂はとんでもなく難しい条件ということがわかります。単独という時点で、自力で進むしかない訳です。
2024年の最新登山家死亡事故情報
2024年も登山家の死亡事故が絶えません。今年に入って亡くなった登山家のまとめです。
発生時期 | 登山家 | 場所 | 事故の概要 |
---|---|---|---|
2024年10月7日 | マイケル・ガードナー (Michael Gardner) | ジャヌー山(ネパール) | アメリカの登山家。ジャヌー山の主峰(7,711メートル)で登攀中に滑落し、死亡。(32歳) |
2024年6月 | 張元植 | 白朗峰(モンブラン) | 台湾の登山家。白朗峰の北壁を登攀中に250メートルの崖から滑落し、即死。(36歳) |
もちろん、この中に平出和也さんと中島健郎さんも含まれています。割愛しています。
クレイジージャーニー登山家死亡まとめ
『クレイジージャーニー』に出演した登山家に、平出和也(ひらいで かずや)さんが挙げられます。そして同行していた中島健郎さんも残念ながら亡くなられました。
彼らはアルパインスタイルという、登山道が整備されていない自然の地形を進むことで登頂を目指す危険な冒険家です。そして、成功とともに登山界のアカデミー賞と称されるピオレドール賞を受賞しています。
受賞回数が多くなればなるほど、天国への片道切符となっているように思えます。今回の死亡事故をまとめていて、前人未到の登山は達成感と引き換えに危険なものだと教えられました。
それでも彼ら登山家の挑戦はとまりません。
コメント