千代大海龍二(ちよたいかい りゅうじ)は、元大相撲力士であり、現在は九重部屋の親方として活動しています。
彼は2010年に引退し、その後「佐ノ山」という年寄名跡を襲名しましたが、2016年には九重部屋を継承し、14代九重となりました。
2023年10月24日、九重部屋に所属する未成年力士が飲酒を理由に謹慎処分を受け、九重親方も処分されました。
九重部屋の親方は現在誰?現状を解説
現在、九重部屋の親方は14代目九重親方である須藤龍二(元大関・千代大海)です。彼は2016年8月2日に14代目九重の名跡を襲名しました。
九重部屋の現親方
現在の九重部屋の親方は、元大関・千代大海こと須藤龍二です。
引退後は、佐ノ山親方として相撲界に残りました。佐ノ山親方は2016年に九重部屋の親方に就任しました。
彼は2016年に14代目九重親方として部屋を継承し、以降、力士たちの指導にあたっています。
千代大海の指導スタイルは、先代の千代の富士から受け継いだ教えを基にしつつ、力士たちに興味を持たせることを重視し、楽しく真剣に稽古を行うことを奨励しています。
佐ノ山親方の九重部屋親方への経緯
佐ノ山親方が九重部屋の親方になった経緯は、2016年7月31日に13代九重(元横綱・千代の富士)が膵臓がんにより逝去したことに始まります。
13代九重の死去に伴い、彼の直弟子であった佐ノ山(元大関・千代大海)が14代九重を襲名し、部屋を継承することとなりました。
そもそも親方になるためには資格が必要です。それを年寄名跡といい、全ての人が親方になれるわけではありません。
年寄名跡とは
年寄名跡(としよりめいせき)は、日本相撲協会の年寄名跡目録に記載される年寄の名で、相撲協会の役員や親方になるために必要な資格です。
年寄名跡を取得する条件
- 日本国籍を有すること: 年寄名跡を取得するためには、日本国籍が必要です。
- 現役時代の成績: 以下のいずれかの条件を満たす必要があります。
- 横綱または大関を経験していること。
- 三役(小結以上)として1場所以上在位していること。
- 幕内で通算20場所以上在位していること。
- 十両以上(関取)として通算30場所以上在位していること。
- 部屋の継承者として指名されている場合: この場合、以下の条件が適用されます。
- 幕内で通算12場所以上在位していること。
- 十両以上(関取)として通算20場所以上在位していること。
九重部屋の現状
- 九重部屋の現状: 九重部屋は2021年2月15日に東京都葛飾区奥戸に新しい施設へ移転しました。この新しい施設で、14代九重親方の指導の下、稽古が行われています。
- 最近の問題: 2023年10月24日、九重部屋に所属する未成年力士が飲酒を理由に謹慎処分を受け、九重親方も処分されました。この事件は相撲界全体での未成年者の飲酒問題が再び注目されるきっかけとなりました。
- 元力士の事件: 最近、九重部屋出身の元力士が連続強盗事件に関与して逮捕されるというニュースもありました。このような事件が続くことで、九重部屋のイメージにも影響が出ている可能性があります。
九重部屋には、現在26名の力士が所属しています。
これらの力士は、各自の技術を磨き、相撲界での地位を確立するために日々努力しています。
九重部屋に所属する力士の中でも、千代の国や千代丸は特に注目されています。
- 千代の国 憲輝(ちよのくに としき)は、2023年7月場所で引退し、現在は年寄・佐ノ山として活動しています。彼の最高位は東前頭筆頭であり、幕内での戦歴は199勝216敗です。引退後は年寄名跡を取得し、相撲界での指導にあたっています。
- 千代丸 一樹(ちよまる かずき)は、2024年1月場所では東十両12枚目の地位で5勝10敗の成績を残し、62場所連続で関取として活動していましたが、その後、3月場所で西幕下筆頭に落ちました。千代丸は現在も現役力士として活動しており、彼の最高位は東前頭5枚目です。
かつて九重部屋はトップクラスの部屋として知られていましたが、現在は再建の途上にあります。多くの力士が引退し、部屋の成績も低迷しているため、親方は新たな戦略を模索しています。
2024年1月から12月までの九重部屋に所属する力士の序列は以下の通りです。
- 千代大牙 (ちよおおが) – 三段目6枚目 (1勝6敗)
- 千代の勝 (ちよのかつ) – 三段目9枚目 (4勝3敗)
- 千代大宝 (ちよだいほう) – 三段目12枚目 (4勝3敗)
- 千代天富 (ちよてんぷ) – 三段目56枚目 (0-0-15休)
- 千代大和 (ちよだいわ) – 三段目58枚目 (4勝3敗).
今後の展望
九重部屋の現在の親方(元千代大海)は、部屋を再びトップクラスの地位に戻すことを目指しています。
若手育成においては、九重部屋は特に注力しています。現在、26人の力士が在籍しており、彼らの技術向上と精神的成長を支援するために、親方自らが指導にあたっています。
具体的には、定期的なトレーニングセッションやメンタルコーチングを通じて、力士たちが自信を持って土俵に立てるような環境を整えています。
九重部屋がトップクラスだったころ、特に幕下以上の力士が最も多かった時代は1990年代後半から2000年代初頭にかけてです。
この時期、九重部屋には多くの有力な力士が在籍しており、特に元大関の千代大海(須藤龍二)が活躍していました。
九重部屋の歴代親方たちの功績
九重部屋は、日本の相撲界において重要な役割を果たしてきた相撲部屋であり、その歴代親方たちの功績は多岐にわたります。以下に、主な親方たちの業績を詳述します。
代目 | 親方名 | 襲名期間 | 備考 |
---|---|---|---|
11代 | 千代の山雅信 | 1959年 – 1977年(死去) | 11代九重親方、元横綱 |
12代 | 北の富士勝昭 | 1977年 – 1992年(死去) | 12代目九重親方、元横綱 |
13代 | 千代の富士貢 | 1992年 – 2016年(死去) | 13代目九重親方、元横綱 |
14代 | 千代大海龍二 | 2016年 – 現在 | 14代目九重親方、元大関千代大海 |
まず、九重部屋の創設者である千代の山雅信(11代九重親方)は、昭和30年代から40年代にかけて活躍した横綱であり、彼の指導の下で多くの力士が育成されました。
千代の山は、相撲界における技術や精神面での指導を重視し、特に若手力士への教育に力を入れました。彼は、相撲の基本技術を徹底的に教え込むことで、部屋の力士たちが高いレベルで競争できるようにしました。
次に、北の富士勝昭(12代九重親方)が継ぎ、部屋を運営しました。彼は自身も横綱として成功した経験を生かし、相撲界全体への影響力を持つ存在となりました。北の富士は、国民栄誉賞を受賞した千代の富士の師匠として辛口のコメントで解説することで知られています。2024年11月、残念ながら82歳で亡くなられました。
さらに、千代の富士貢(13代九重親方)は、九重部屋の親方として最も知られています。彼は現役時代に31回の幕内最高優勝を果たし、その後も九重部屋を引き継ぎました。千代の富士は、力士としてだけでなく、指導者としても優れた才能を発揮し、多くの弟子を育てました。彼は特に体力トレーニングや技術向上に注力し、弟子たちが自信を持って土俵に立てるような環境を整えました。
現在、元佐ノ山(元大関・千代大海)が千代の富士貢(13代九重親方)の死去に伴い14代九重を襲名し、九重部屋を継承することとなりました。
九重部屋の女将はどんな人?親方との関係も
九重部屋の女将、須藤恵理子さんは、九重親方(元大関・千代大海)の妻であり、相撲部屋の運営において重要な役割を果たしています。
彼女は2012年に九重親方と結婚し、以来、力士たちの健康管理や食事の提供を通じて部屋を支えています。
恵理子さんは「アスリートフードマイスター」の資格を持ち、栄養バランスを考えた食事を提供することで、力士たちのパフォーマンス向上に貢献しています。
親方との馴れ初めは?
須藤恵理子さんと九重親方(元大関・千代大海)の馴れ初めは、友人の紹介によるものでした。
二人が出会ったのは、2010年頃で、当時の九重親方は36歳、恵理子さんは35歳でした。彼女は非常に美しい女性で、九重親方は彼女に一目惚れしたと言われています。
その後、二人は一度別れたものの、2011年の東日本大震災をきっかけに再び結びつきました。九重親方が震災復興支援の活動を通じて恵理子さんへの深い愛情を再確認し、復縁に至ったのです。このような背景から、二人は愛を育み、2012年6月1日に結婚しました。
結婚式には650人もの招待客が出席し、盛大な披露宴が行われました。恵理子さんはその後、九重部屋の女将(おかみ)として力士たちの健康管理や食事提供に尽力し、アスリートフードマイスターとしても活躍しています。
九重部屋の歴代親方の死因とは
九重部屋の歴代親方の死因について、以下に詳細をまとめます。
親方 | 死因 | 詳細 |
---|---|---|
11代九重(千代の山雅信) | 肺がん | 1977年に逝去しました。彼は相撲界で非常に影響力のある人物であり、彼の死は多くの人々に衝撃を与えました。 |
13代九重(千代の富士貢) | 膵臓がん | 2016年7月31日に亡くなりました。彼は非常に有名な横綱であり、膵臓がんと診断された後、手術を受けましたが、病気との闘いに敗れました。彼の死は日本中で大きなニュースとなり、多くの追悼が寄せられました。 |
これらの親方たちはそれぞれ相撲界において重要な役割を果たし、多くの弟子やファンから愛されていました。特に千代の富士は「ウルフ」の愛称で知られ、その圧倒的な強さとカリスマ性から多くの人々に影響を与えました。
九重部屋はなぜ移転したのか?理由を探る
九重部屋は、東京都墨田区から葛飾区への移転を決定しました。
九重部屋の移転の理由は、師匠である元横綱・千代の富士が亡くなった後、愛弟子の元大関・千代大海が部屋を引き継いだためです。
この移転は、葛飾区の地域活性化を目的とした誘致が背景にあります。
九重親方(元大関千代大海)は、移転の発表を受けて「発表した通り」と認め、地域との新たな関係構築に期待を寄せています。新しい環境での活動が、部屋の発展に寄与することが期待されています。
九重部屋と千代大海のエピソード
千代大海(ちよたいかい)は、1992年に九重部屋に入門しました。その経緯は非常に興味深いもので、彼は元々不良少年として知られていました。彼の母親が「力士になれ」と言ったことがきっかけで、相撲界への道を選ぶことになります。
入門の際、千代大海は金髪にリーゼントという姿で九重部屋を訪れました。師匠である千代の富士(13代九重)との初対面では、その威圧感に圧倒され、「この人には殺される」と感じたと語っています。
千代の富士から「何しに来たの?」と尋ねられ、「相撲界に入りたいです」と答えると、師匠は笑顔になり、「この子は頑張れそうだね」と言ってくれました。しかし、彼の髪型については厳しく指摘され、頭を剃るように言われました。
その後、彼は一度帰宅し、頭を丸めて再度九重部屋を訪れた際には入門が許可されました。このようにして、千代大海は九重部屋での修行を始めることになりました。彼はその後、相撲界で成功を収め、多くの弟子を育てる親方としても知られるようになりました。
九重部屋の引退力士たちのその後
元小結の千代大龍秀政(ちよたいりゅう ひでまさ)は、2022年11月に引退した後、2023年1月16日に東京・六本木に焼肉店を開業しました。
千代大龍は、今後「大衆店」も出店する意向を示しており、飲食業界での新たな挑戦を続けています。
引退後の彼は、相撲界から離れた新しい人生を歩むことを選び、焼肉店の経営に専念しています。彼は「まずはダイエットをしてから、お肉が好きなので、できれば焼き肉店をやりたいという気持ちがあります」と語っており、自身の経験を生かしたビジネス展開に意欲を見せています。
また、千代大龍は引退後に格闘技イベント「BreakingDown」にも参加し、2024年2月18日に元パンクラスライト級1位の金田一孝介と対戦しましたが、判定で敗れました。この試合では「相撲の立ち合いの方が威力があった」とコメントし、自身の相撲経験を活かした発言もしています。
このように、千代大龍秀政は引退後も多様な活動を行いながら、新たなキャリアを築いています。
現在の九重部屋の親方と部屋のまとめ
現在、14代九重(千代大海)が親方として部屋を運営しており、新弟子の育成や稽古に力を入れています。2021年には東京都葛飾区奥戸に新しい施設を移転し、より良い環境で稽古が行えるようになりました。また、部屋付き親方や行司も多く在籍しており、相撲界で重要な役割を果たしています。
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