Highly Sensitive Personの略で
1996年にエレイン・N・アーロン博士が唱えた
繊細で敏感なひとたちの総称です。
日本語にすると高敏感な人ってところでしょうか。
2017年に「敏感にもほどがある」という本を読んでこれって自分のことじゃないかと感じたのを昨日のことのように覚えています。
ただし敏感といっても自分がただそう感じているだけで、周りの人からするとそんなこと気にしてたら前に進めないよとか臆病すぎるんじゃないと思われる程度の話だと思います。
その敏感さが地球に迫りくる危機を予言し、みんなに積極的に回避案を伝えてまわるといった導く役割とかではありません。
あくまで自分に降りかかる危険や平穏を乱す要因に対して敏感なだけです。
確かに自分の人生を振り返ってみると控えめで積極性がないと思っていましたが
他にもこのような気質の人たちがいるというのを知って少し救われました。
HSPは才能の一部かも
というのも自分はどこか異常なのではないかと感じることがありました。
それは
・自分の見た目に自信がなくなり外を歩くのも嫌な時期があった
・他人と競争する場面に出くわしても相手に譲ることもしばしば
・おとなしいのでからかわれたりするもしくは変人扱い
などです。
何しろ人と争うことが嫌でした。
下手したら地球で食料が不足して明日食べるものがなくなるようなときでも
他人と争うくらいなら自決した方がいいやとまで考えたことがあります。
HSPの存在を知ってから、なぜ神様はこのような気質の人間を地球上に想像したのか自問自答の日々です。
理由は生存競争に向いていないからです。
はっきり言って特性が特殊すぎます。
私の想像ですがHSPの特徴(才能)である
・豊かな感受性
・豊かな想像力
を発揮するには副作用として
・豊かな感受性との代償に傷つきやすい
・豊かな想像力との代償にに引きこもりやすい
ことが必要だったのだと自分を受け入れるようにしました。
これはHSPにとって現代社会ではかなりのハンデだと思います。
男性にとってHSPはきつい?
男性にとっては特に積極的に行動できないことは、男性らしくないといった印象を男性・女性問わず持たれやすく、社会的によしとされない風潮が昨今、昭和の時代からあったと思います。
現在では価値感が変わってきて必ずしもそうではないのかなと感じ始めています。
以上のことは男性のHSPにとってはかなりデメリットだと思います。
つまりは私を含めてHSPの人たちにはつらい、大変といったネガティブな感情が常に付きまとう日常生活ではないかと思います。
しかしそれは違うと思います。
HSPの皆さんが自分を社会にあわせようと頑張りすぎているからなのかもしれません。
逆にあわせなくていいです。
もっと自分に正直に生きていいと思います。
正直にという表現をしましたが私はHSPの人は(自分を含めて)繰り返しますが次の才能(gift)をもってこの世に生まれてきたのではないかと確信しています。
・豊かな感受性
・豊かな想像力
HSPがなぜ対人関係において困難を抱えているのかそれは人間の性格に対してどのようなものが存在しているのか知らないからです。
人間はあらかじめ予定や段取りがわかっていると安心しますよね。
HSPにとっては特にそのような情報を欲していると思います。
性格は6つに分類できる
そこで私がHSPの皆さんに伝えたいことはこのブログの冒頭で述べた人間の性格は6つのパターンに分類できるということです。
※参考性格は6つに分類できる
自分が今どうしたいのか常に自分が一番わかっているのです、それをみんなにあわせようと一生懸命になればなるほど自分をストレスに追いやっているのです。
他人がどう思うかとか関係ないです。
自分に反発して頑張りすぎるのはもう終わりです。
私はHSPのみな
情(マイナス)、知(マイナス)
の組み合わせた特徴を持つ人たちなのではと確信し始めています。
人間の性格はたった6つに分類できるということはそれぞれに対し、どのように生きていけばよいのかを示しているようなものです。
HSPにとって仕事や家庭で対人関係が伴う一日はかなりの割合で関心を占めることだと思います。
そのことに対しどのようにふるまえばよいのかわかっているというのはほぼ答えが出ているようなものです。
それからというもの自分は本当にラクに生きられるようになりました。
あえて自分のことを変人ですと言ったみたりしています。
このサイトを見てくれて共感してくれる人がいるのであればHSPとしてうれしい限りです。
与えられた才能を活かすための方法を一緒に模索していきましょう。
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